各プログラム紹介

短期海外派遣奨学金プログラム

報告書

3年(派遣時) 池上遥

スカイタワー

私は、8月17日から9月8日までの3週間、短期海外派遣奨学金プログラムでニュージーランドのオークランドにある特別支援学校ボランティアに行ってきました。宿泊はホームステイで、シングルマザーの家庭でした。ロシア人で発音の違いから最初の方は意思疎通に苦戦しました。子どもはまだ2歳の女の子で活発で休みの日には一緒に遊んだり、ホストマザーが買い物に行っているときには二人でお留守番をしたりしました。まだ2歳なのでホストマザーが外出すると不安がり、ほとんど自分の時間がないとホストマザーは言っていました。実際土日は遠出することがあまりないと言っていて、子どもの幼稚園の集まりに行くことが多いと言っていたので、私は一人でオークランドの街並みを知ろうと、外出しました。オークランドの中心部にある南半球で最も高いタワーであるスカイタワーを見に行きました。また、その近くにあるアイスクリームを買いに行くとキャッシュレスで現金の取り扱いがありませんでした。

ニュージーランドの中心部ではキャッシュレスが多くなっているとホストマザーに聞きました。バスに乗るときはHOPカードという「SUICA」のようなカードが主流でした。ただ日本のICカードと違うところはそのカードを使えば現金で払うときよりも何倍もお得になることでした。また、バスに乗るときは各バス停に停車することはなく、乗るときは手を上げて運転手にサインを出し、降りるときはボタンを押さないと止まってくれませんでした。そのため、地元の人は慣れているため簡単かもしれませんが旅行客はマップがないと降りたい場所がどこか分からなくなると思いました。土日はホストと一緒に遊びに行く時間がありませんでしたが、平日は御飯に連れて行ってくれたり、オークランドの街並みをドライブで見せてくれたりしました。オークランドのスーパーでは全て買い物袋は有料で、オーガニックの商品の取り扱いが多かったです。資源を大切にしているニュージーランドの生活に触れることが出来ました。

ボランティアの活動時間は平日の9時から15時まででした。生徒は100人程度で6クラスありました。1クラスにスタッフが4~5名でした。私は看護学校に通っているからと障害の重いクラスに配属されました。私が配属されたクラスはルーム5で、6人の生徒たちがいました。全員が車いすでの生活で、中には目の見えない生徒やカラーをつけないと首を支えきれない生徒、手の拘縮がある生徒、酸素カニューレをつけている生徒、話せない生徒がいました。スタッフは4名で、先生がフィリピン人、介助スタッフがロシア人、ニュージーランド人と国籍はバラバラでした。

朝はモーニンググリーティングの時間で、「モアナ」の音楽を流しながら、歌を歌い、ブルーボックス、イエローボックスと箱に物を分けて、紐や鈴、ゴムなど、感覚を刺激する簡単な朝の活動がありました。そのあと、スタッフが生徒たちにマッサージをし、私も参加しました。生徒たちは喜んで叫んだり、表情をやわらかくしたり、音に合わせてマッサージで体を刺激していました。毎日同じように朝の挨拶をすることで朝の習慣であることを生徒たちに覚えてもらうことが目的でした。その後はモーニングティーの時間で、スタッフが生徒たちに簡単なおやつとしてサンドイッチを作ったり、胃管から栄養剤を注入したり、ペースト状に食べやすくした果物を持参したりしていました。私は食事介助に入りました。自分で食べられる子は手でつかんで食べて、食べられない子の介助をしました。間食が終わると、スイッチゲームをしたり、補助具を使って歩いたり、本を読み聞かせたり、料理をしたりしました。金曜日には、セラピストが来て、読み聞かせがありました。

スイッチゲームはスイッチを押すことでテレビに映し出された本のページがめくられたり、CDプレイヤーから流れる音楽が止まったり再生されたりするゲームでした。生徒たちにスイッチを押すと音が流れたり、話が進んだりすることを覚えてもらう練習でした。この時、手の拘縮でスイッチが押しにくい生徒がいても、スタッフは手を出さずに生徒が自分の力で押すのを待っていました。子どもたちが自分で押すとスタッフは喜び、たくさん褒めて生徒たちに自信を与えていました。

親指でスイッチを押す
親指でスイッチを押す
経管栄養の準備
経管栄養の準備
キャスターがついていて自分で歩ける補助具
キャスターがついていて自分で歩ける補助具

補助具を使って歩くのは、車いすに座りっぱなしで足の筋力を落とさないためのプログラムでした。生徒によって使う器具は異なり、一歩ずつただ支えるだけで引っ張ったりすることなく、生徒のペースで歩きました。「足を踏み出して、右足よ!」と声をかけ、歩けたときには「すごい!よくやった」とほめて、「後ろ向きに歩いてみる?」と新しいことにも挑戦していました。

読み聞かせでは、本を読み進めながら出てくる小麦粉やパンを手で触って感触を体験していました。
お菓子作りでも同じように、使うバターや小麦粉、砂糖を触って体験していました。

金曜日には読み聞かせに来る先生がいて、ニュージーランドのマオリ族が受けつぐ伝説のドラゴンとして有名なタニファ(Taniwha)という物語を読み聞かせていました。鈴を鳴らしたり、笛を吹いたり、マスクをかぶったり、音楽を流しながら、生徒たちを物語の世界に引き込んでいました。生徒の中には、「Good morning」や「Taniwha」と言葉を発せられる知的障がいの生徒がいますが、学校に来るまでは一言も話せない生徒だったと先生は教えてくれました。何度も練習を重ねることが生徒たちにとって大切だということを学びました。

昼食では、食事介助をしました。手でつかんで食べることはできても、スプーンですくって食べることができない生徒の介助をしました。最初は、スプーンで私がすくって渡していましたが、スタッフに「すくうという動作ができないだけであとはできるのよ。すくえるように手の甲を少し押してあげるだけでいいの。」と言われ、手の甲を少し押すだけで、スプーンでご飯がすくえ、口に運ぶことができました。「全部手伝ってはダメ。できないことだけをお手伝いするのよ」と言われ、私はやりすぎたのだなと思いました。時間がかかっても自分でできることは何でもやらせて待つというスタンスのこの学校はすごいなと思いました。また、日本の学校は、これをやろう、あれをやろうとスタッフ側の自己満足に終わっている事業がいくつもあるのではないかと疑問に思いました。一番大切なのは、学校でしていることが家でも生かせることだと思いました。

昼食を食べ終わると、フロアタイムで、生徒たちは休憩を床でとります。それは、ただ休んでいるだけでなく、車いすにずっと座った状態ではなく、横になるという動きをすることも活動につながっているように思いました。

トイレは、車いすからクレーンに移乗して、トイレに行っていました。クレーンは学校中に張り巡らされていて、施設のすごさを感じました。私もクレーンに移乗するのを手伝いました。スタッフに負担がかからず、生徒もクレーンで体がつるされることに慣れているようで、暴れたりすることなく排泄行動が行えていました。自分でトイレに行ける生徒はトイレが終わったらスタッフを呼び、ズボンの着脱だけ手伝ってもらったりしていました。

生徒たちは話せないのにも関わらず、意思疎通ができていました。それは「POOD BOOK」と呼ばれるコミュニケーションツールで、スタッフは生徒たちに「何かいいたいことがある?」と聞いては、本を取り出して、何がしたいのかを聞いていました。「POOD BOOK」は1人1つあり、質問の内容もそれぞれ違いました。中には、痰がのどにたまっている生徒もいて、唸り声をあげては、スタッフが「吸引が必要?」ときいて、吸引をしてあげていました。質問はイエス、ノーで答えられる形式になっていて、「どこか調子が悪い」「会話がしたい」「誰かに何かを言いたい」「今の気分を伝えたい」などカテゴリーが分かれており、イエス、ノーで意思疎通をしていました。

手の拘縮のある生徒が砂糖を触っている様子
手の拘縮のある生徒が砂糖を触っている様子
クレーンで運ばれる生徒
クレーンで運ばれる生徒
POOD BOOK
POOD BOOK
アイパッドで意思を伝える
アイパッドで意思を伝える

質問の内容は、セラピストと生徒が一対一で話す面談が週に一回あり、その時に質問を追加する機会がありました。一度、ある生徒についていったときは、音楽を流してみて、生徒の表情を見ながら、いろいろな曲を流しては「これが好き?」「ほかの曲にする?」と質問して好きな曲を見つけていました。そして、「音楽が好き?」「まだ流してほしい?」と言って生徒が「イエス」と答えたので、来週からカテゴリーに音楽が追加されることになりました。イエス、ノーが言える生徒もいれば、言えない生徒もいるため、その時には、首を上げたらイエス、声を出したらイエス、右手がイエスで左手がノーなど、それぞれの生徒でできることは違いました。中には、目を動かすことしかできず、イエス、ノーのカードを使って目で追う方で会話をしている生徒もいました。また、アイパッドを使って、単語を選んで自分で意思を伝える生徒もいました。私も質問をイエス、ノーで答えるものにし、「水が飲みたいですか?」「本を読みたいですか?」と生徒と会話をしました。

スタッフは何よりもコミュニケーションをとることを大切にしており、生徒たちの意思を優先していました。実際に、学校には毎日プログラムが組まれていますが、昨日眠れなかった生徒が「休みたい」と意思を伝えれば、朝はマットをしいて横に寝かせたり、「お昼までの時間何がしたい?」ときいて、本を読む日もあれば、活動する日もあり、それぞれのやりたいことを優先していたりしました。何かを伝えたいのに、できないことが一番生徒たちにとって苦痛だとスタッフは教えてくれました。

最終日には、生徒たちも一緒にパーティーを開いてくれました。多国籍文化の中で、発音の違いもあり、意思疎通が難しかったですが、コミュニケーションを大切にしているニュージーランドの人々はわかるまで待ってくれたり、簡単な言葉に置き換えてくれたり、分かろうとしてくれる優しい人々でした。

 お別れパーティー
お別れパーティー
韓国人と台湾人の優しいスタッフ
韓国人と台湾人の優しいスタッフ

今回、奨学金を頂き、ニュージーランドに行く機会を与えてくださり、本当にありがとうございました。ニュージーランドに行き、異国の生活に触れると共に、海外の特別支援学校の生徒たちと触れ合うことで日本と違って一人一人の個別性に合わせたプログラムを組んでいることが分かりました。看護師として、看護指示の通りに患者さんにケアをするのではなく、同じ看護指示でも患者さんの個別性に合わせたケアを行い、出来ることは自分でしてもらい、介助者ではなく看護になるように患者さんと向き合っていきたいと思います。本当にありがとうございました。

3年(派遣時) 河原由恵

短期海外派遣奨学金プログラムで、2019年9月2日から9月17日までアフリカのケニアを訪問してきました。ケニアでしか経験できないこと、感じられないことがたくさんありました。ケニアではNGO団体であるACEFでボランティアとして活動をさせていただきました。訪問した場所は、私立病院3ヶ所、国立病院1ヶ所、ホームステイ先の茶農家、私立小学校1ヶ所、公立小学校1ヶ所、エイズで家族を失った子供たちが暮らす孤児院、有機栽培農場、植林された土地、エイズ患者の自宅、マサイマーケット(ナイロビ)、マサイ・マラ国立公園、マサイ族が住んでいる村です。 活動内容を報告します。

ACEFが設立した私立病院(エンブ病院)

ACEFが設立した私立病院(エンブ病院)では、救急処置室を1日見学しました。交通事故で外傷を患った方や抜糸をしてもらいに来ている方などがいました。処置内容は幅広く、付き添っていた看護師は迷いなく処置をこなしていました。その様子をみて、看護師に救急処置室専門の看護師なのか尋ねてみると、「私はどこの科でも働くのよ。小児科病棟でも、産婦人科でも外科でも何でもできるわ。」と答えられました。ケニアの病院では、特定の科に配属されるという仕組みはなく、看護師の資格があれば、どこの科にいつでも働けるという環境が整えられています。日本では、配属された科で働くことが多いので、いつでも他の科で働くことはできません。何でもできるという力強い看護師の発言に感動しました。写真は付き添ったMaryと撮ったものです。

小児科病棟に寝泊まりしている患者とその母親

国立病院(エンブ)では、2日間で小児科と救急を見学させていただきました。国立病院は私立病院とは違い、医療費が安いので近くに住んでいる方から少し遠方の方まで様々な人が来ていました。5歳までの子供は医療費が無料になると聞いていたので、小児科の見学を希望しました。実際に行ってみると、医療者はほとんど隣接している大学の研修医と看護学生ばかりで驚きでした。薬の処置やバイタル測定、日々の観察は学生や研修生たちで足りており、それ以外の清拭や食事介助、授乳、身の回りの世話は全て両親(主に母親)がしていました。患者の側で様子を伺っていたのですが、残念ながら看護師の介入を見ることはありませんでした。看護師の役割とは何かということを改めて考えるきっかけになりました。写真は小児科病棟に寝泊まりしている患者とその母親です。

ホストファザー

茶農家でのホームステイでは、2日間訪問させていただきました。患者さんの普段の生活を知りたくてホームステイを希望しました。ケニアでは茶やコーヒーなどの輸出向けの農業をされている方が多く、今回訪問させていただいた茶農家さんもそのひとつでした。ケニア山の麓にあるため、エンブに比べて気温が少し低く、長袖でも寒いほどでした。ホストさんの家族は4人とお手伝いさん2人がおり、さらに家畜が牛2頭、羊7匹、ニワトリが多数いて茶農家の中では裕福な家庭です。ホストさんの家と畑はとても広くて、何も不自由なことはありませんでした。しかし、ガスだけはまだケニアで普及しているところが少なく、薪で火をおこしていました。その他にもまな板がないので手の上で野菜をカットすることやチャパティという主食のナン作り、大きなスイカをカットすること、茶摘み体験など日本ではできない生活を経験することができました。共に生活することで気付かされたのが、女性がとても働き者だということです。ホストマザーも言っていたのですが、ケニア人の男性はあまり働かないようで、常に働いて家庭を支えているのは女性でした。このように、ホームステイをしてみて学んだことが多くあり、より患者の生活が描きやすくなりました。写真はホストファザーと撮ったものです。

小学1年生クラスで出会った子どもたち

公立小学校と孤児院では、子どもたちへの教育や生活環境について学ぶことができました。子どもたちの朝は早く6時には家を出発し、学校に6時30分頃到着します。しかし、学校では教師の教育体制は整っておらず、授業に来ないこともしばしばありました。そんな時、子どもたちは自習をしながら待ちます。日本では考えられないような環境に驚きつつ、現状を受けとめました。孤児院での生活はとても賑やかで、子どもたちの笑顔や元気さ、優しさに癒される2日間でした。子どもたちは掃除に、遊び、お祈り、ダンスの練習、洗濯、勉強など毎日大忙しです。しかしこの孤児院が無ければ、路上で暮らしていた子や学校に行けず、ろくな食事もできなかった子たちがたくさんいたことを後に知りました。子どもたちとっての幸せとは何かを考えさせられました。写真は小学1年生クラスで出会った子どもたちと撮ったものです。

カウンセラーのサラさんと看護師

エイズ患者さんの家庭訪問では、カウンセラーのサラさんと共に2件訪問しました。病院見学をさせてもらっていたので、患者さんの様子を観察することはあっても病院へ来ることができない患者に出会うことはありませんでした。外国人が訪れないようなお宅に訪問し、患者の生活の様子を肌で実感しました。1件目は、ベッド上で生活している患者さんで暗い部屋にずっと寝ているようでした。薬を服用しているようでしたが、2種類の薬の見分けがわかりにくいとサラさんに相談していました。サラさんは体調の変化や他に困っていることなどがないかを聞いていました。また2件目は、土壁の小さな家に10人家族で暮らしている若い女性の患者さんでした。サラさんは彼女の家庭は貧しいので訪問する際はいつもお米や生活用品などの手土産を買っていくのだそうです。
彼女へのカウンセリングだけでなく、家族へのコミュニケーションも欠かさず行なっている様子をみて、サラさんはカウンセラーでありながら保健師の役割も担っているのだと気付かされました。ケニア政府はエイズ患者へ薬を無償で提供していますが、サラさんのような訪問活動がなければ患者の命をつないでいくことは難しいのだと訪問してみて実感することができました。写真はカウンセラーのサラさん(左上)と看護師(右下)と撮ったものです。

マサイ族

観光でマサイ族が住んでいる村を訪れました。地域によってその場所に合わせた生活方法が様々あることを学びました。原始的な生活が残っていますが、現代的な部分もあります。例えば、水道、電気、ガスは一切通っていません。だから水は全て近くの川へいき、洗濯からトイレ、お風呂まで全てそこで済ませます。また、村ではたまに野生のライオンやハイエナが襲ってくるので人間が大勢で囲み、ナイフなどの武器でやっつけます。しかし、彼らの収入源は観光客からガイド代としてもらうお金やお土産を売って得るお金です。自宅であり、観光地であるので毎日外国からの団体客が訪れます。それに慣れていて、英語は流暢に話せます。また服装はパーカーやTシャツの上に伝統的な布をまとっていました。ホームステイ先での生活とマサイ村の生活を比べて、それぞれが生きるために工夫して生活を送っているのだと気付きました。写真はマサイ村で原住民と撮ったものです。
ケニアの16日間を通して、「ケニアにおける看護の役割とは何か」「ケニア人の生活過程、生活背景とは」について学びました。ボランティアとして協力できた経験、そして看護学生としてケニアで学んだことを活かしていきたいと思います。ケニアへの派遣という貴重な機会を与えてくださり、心より感謝申し上げます。

チェンマイ(タイ)研修プログラム

本学学生が、異なる生活文化の体験、異なる文化的背景を持つ方々との交流を通して、国際的な視野を身につけ、国内では得られない学びの機会を得、将来の看護職者として成長する糧となることを目的とした短期研修プログラムの一つとして、チェンマイ研修プログラムが企画されています。

本プログラムは、毎年8月中旬から約10日間、本学と学術・教育交流協定を結ぶタイのチェンマイ大学看護学部において、施設見学、演習体験、学生交流、学生生活体験を行っています。定員は10名程度です。

令和元年度には、8名(うち指導教員1名)が参加しました。本学はチェンマイ大学からの短期交換留学受入プログラムも行っていることから、チェンマイ国際空港へ到着すると以前に本学に短期留学していた学生さんたちが出迎えてくれ、学生たちは久しぶりの再会を喜んでいました。

チェンマイ大学のキャンパス内では、チェンマイ大学の歴史や概要、カリキュラム、タイの医療の現状や看護教育に関する講義を受け、お互いの国の医療システムや看護教育、学生生活の共通性や違いをディスカッションしました。本学学生は、日本の文化や医療、カリキュラムや学生生活などについてプレゼンテーションを行い、チェンマイ大学の教員・学生の方々との交流を深めました。大学交流最終日には、本プログラムの修了式が行われました。

意見交換会
意見交換会
看護学部実習室での講義
看護学部実習室での講義
病院見学
病院見学

チェンマイ近郊の病院や施設などを訪問させていただきました。実際にタイの看護師が働いている現場を見学し、意見交換を行いました。
チェンマイの寺院や歴史博物館を訪ねました。タイの文化や価値観を知る機会となり、これまでの学びと重ね合わせて、タイの人々の文化や生活についての理解を深めました。

伝統治療で使用される植物
伝統治療で使用される植物
メーサーエレファントキャンプ
メーサーエレファントキャンプ

韓国研修プログラム

本プログラムは、「看護大生のための短期海外研修プログラム」であり、令和元年度は2年生7名が参加しました。

プログラム行程

9月4日(1日目)

宮崎空港-仁川空港着、空港鉄道にてソウル駅へ移動、KTXにて光州市へ。朝鮮大学教員、学生らとともに夕食交流後、ゲストハウス


9月5日(2日目)

サンム病院、朝鮮大学病院見学、朝鮮大学施設見学及び交流会


9月6日(3日目)

光の村女性病院見学、5.18民主化運動記録館訪問、楊林洞近代歴史村訪問、KTXでソウル市へ移動、龍山駅でホストファミリーと合流


9月7日~9日(4~6日目)

終日自己研修


9月10日(7日目)

韓方博物館訪問、汗蒸幕体験または自己研修後ゲストハウス


9月11日(8日目)

仁川空港-宮崎空港 空港にて解

現地指導教員としての体験内容と学び

1.光州での体験内容と学び

サンム病院・朝鮮大学病院
サンム病院・朝鮮大学病院の見学

整形外科の医長より手に関する講義を受けました。手に関する外科処置は非常に重要であることを学びました。学生達も、これまで学んできた解剖学と重ねながら、理解を深めていました。

朝鮮大学病院では、ICUや一般病棟、及び産婦人科の分娩室を見学しました。陣痛室と分娩室が分かれており、分娩室には、分娩台がありませんでした。陣痛室で使用しているベッドで分娩室に移動し、ベッドが分娩台となるようでした。分娩室は、がらんとした部屋で、手術室のような雰囲気でした。産婦さんの緊張をほぐす工夫がどのようになされているのかが気になりました。

朝鮮大学見学

朝鮮大学の施設内見学では、患者の状況設定に応じたバイタルサイン測定や静脈内注射のシミュレーションモデルの紹介がありました。実際に脈拍が計測できたり、言葉を話したりするモデルに学生はとても驚いていました。

朝鮮大学見学
朝鮮大学見学
光の村女性病院見学

光の村女性病院は、とても明るくやわらかい雰囲気の病院でした。韓国の文化である産後ケアが充実しており、施設のいたるところに母親への心と身体への配慮を見て取ることができました。韓国の出生率は1.11と非常に低い状況ですが、妊婦が通る廊下には、かわいい子どもの写真が掲示されており、看護部長からは「妊婦のリラックスを促すために飾っている」と説明がありました。産後の病室には座浴の機器が設置されており、細やかな部分にも配慮がされていました。
韓国では、産後母児分離となり、母親の心身の回復を最優先に考えていることを知りました。

光の村女性病院見学
光の村女性病院見学
光の村女性病院見学
光の村女性病院見学
光州事件記念館見学
光州事件記念館見学

光州記念館では、光州事件が起きた経緯、その時の報道のされ方、軍の鎮圧行動の悲惨さなどを学びました。犠牲となった方々には、子どもから妊婦、若者などが多く、ジオラマや写真などを通して、短い期間におきたこの事件の意味を考えることができました。学生も、光州市の穏やかで美しい街の過去に触れたことで、「今、目の前にある道路にこんなに多くの人の犠牲や血や惨劇があったなんて信じられない」と歴史を知る重要性を感じていました。

2.ソウル市での体験内容と学び

韓方博物館見学

韓方博物館では、韓国の風土や気候、韓国人の体質に合わせて発展してきた伝統医学「韓方」に触れることができた。博物館に行く道すがらには、たくさんの薬草が売られ、学生達はそのにおいや見た目に驚いていました。

博物館には韓方に関する文化財150点余りが展示され、薬草などを粉砕する道具や薬剤を沸かす道具、薬棚などが展示されていました。自然の中にある草や生き物たちが薬として使われていたことやガイドから今でもそれらを使った療法も残っていることを聞き、韓国の伝統医療について感じることができました。

韓方博物館見学
韓方博物館見学

サンノゼ(米国カリフォルニア州)研修プログラム

平成31年3月16日(土)~3月27日(水)の12日間サンノゼ短期海外研修プログラムが実施されました。参加学生は4名、全員2年生でした。初日、2日目とホストファミリーとそれぞれかかわらせていただいた後、研修プログラムに沿って、日系アメリカ人の歴史、ロスガトス高校訪問、サンノゼ州立大学看護学部、日本語クラス、ウェルネスセンター訪問・見学、サンノゼ州立病院見学、観光等をしました。その中で、歴史、異文化体験、アメリカにおける保健・医療・福祉の現状を学ぶことができました。

3月16日(1日目)

宮崎-羽田-ロサンゼルス-サンノゼと飛行機で、乗り継ぎも合わせ約16時間かけてサンノゼに到着しました。21時に到着したこともあり、この日は空港にホストファミリーが出迎えてくださり、挨拶したあとそれぞれに分かれました。


3月17日(2日目) ホストファミリーディ

ホストファミリーがそれぞれの学生を観光に連れて行ってくれました。学生は観光することにより、建築物、服装などから異文化を感じていました。ある学生はサンフランシスコのカストロの街に連れっていただき、「いろんな人がいてそれが良い。という意味でレインボーが街のシンボルになっていた。このような街の存在がLGBTの人々の存在を社会に知ってもらい、その人たちも生きやすい社会づくりへとつながった」と感じていました。


3月18日(3日目)
友愛会ボランティア・ジャパニーズアメリカンミュージアム・日本街見学

友愛会は日系アメリカ人を中心としたデイケアです。利用者に歓迎していただき、学生が準備した「福笑い」、「お手玉」、「あやとり」、「おりがみ」を一緒に行いました。日本語が話せる方、英語のみの方がおられ、学生は利用者に応じてコミュニケーションをとっていました。昼食の配膳のお手伝いをし、利用者と昼食をとりました。

友愛会における食事について、ニンジンとレーズンを混ぜた食事が出たり、ホストファミリー宅の夕食でサラダにブルーベリーが入っていたり、日本ではデザートやお菓子感覚で食べるものが入っていて、食文化の違いを感じていました。

日本街見学では、日系人の歴史や戦争における日本人の差別や努力について説明を受け、学ぶことができました。「日本が戦争を起こしたことで、サンノゼに住んでいた日本人がどのような生活を強いられていたかを学んだ。日本では感じられない日系アメリカ人の思いや生活を想像できた」と歴史について学びを深めました。


3月19日、20日(4.5日目)
ロスガトス高校日本語クラス

ロスガトス高校日本語クラスに参加させていただきました。そこで、日本の紹介、学校の紹介を4回行いました。生徒のレベルに合わせてクラス分けされており、それに応じて英語または日本語で発表しました。生徒は日本に関心を持ち、真剣に聞いていました。また、積極的に本学学生に質問し、学生もまた、生徒に合わせて日本語または英語で説明していました。じゃんけん列車を紹介し、大いに盛り上がりました。学生は「授業の様子を見て、手を挙げて発表したがっていたり、ゲームを始めたらすごく喜んでいたりしていた。日本の高校に比べ積極的に参加しており、先生の問いかけに対する反応も大きいと思った。」と日本の高校の授業の参加態度との違いなどを感じていました。

ロスガトス高校生徒の交流
サンノゼ州立大学看護学部の演習に参加

3月21日(6日目)
サンノゼ州立大学看護学部、外国語日本語クラス、ウェルネスセンター見学

サンノゼ州立大学では看護学部の概要について学生からプレゼンテーションをしていただいた後、気管切開で人工呼吸器を装着している患者のケアの演習を見学し、循環動態が変化した患者、出産のシュミュレーション教育の体験をしました。学生も今まで習ったことと比較して考え、積極的に質問をしていました。そのあとに学部生とともに昼食をとりました。学生は「より実践的な練習をしていて(見ているだけで)楽しかった」、「患者アセスメントを行うときには、私たちのように指定の紙はなく、自分で考えて行うと言っていた。授業で先生の方法などを学びながらも自分が患者をアセスメントするのに最もわかりやすくまとめられ、働き始めてからも自分なりにしっかりできそうだと思った。」と、シミュレーション教育の有効性と主体的な学習の必要性を学んでいました。

日本語クラスでは学生に初めに日本や本学の紹介をした後に、グループに分かれそれぞれお互いの違う言語で自己紹介をし合いました。お互いコミュニケーションがとれるようにそれぞれ努力し、距離も縮まっていました。

ウェルネスセンターは、大学内にある保健センターで、医師、看護師、カウンセラーが常駐しており、1日約150人が受診しているとのことでした。なかでも、対人関係や学習に関することなどメンタル面で悩みを抱えている学生が多いことを学ぶことができました。


3月22日(7日目)
ウィンチェスターミステリーハウス、ヴァリーメディカルホスピタル見学、ロスガトス高校サディダンスパーティ参加

この家は、銃のビジネスで成功を収めた実業家ウィリアム・ワート・ウィンチェスターの未亡人、サラ・ウィンチェスターの個人的な住宅でしたが、現在は観光地と化しています。このサラ・ウィンチェスターの指示の下、38年後の1922年9月5日に彼女が死亡するまで、実に24時間365日、屋敷の建設工事が続けられ、それに至るまでの概要を学ぶことができました。

ヴァリーメディカルホスピタルでは、施設見学をさせていただきました。日本にない職種や看護方式、体格の違いに伴う労働の安全対策などを実際に見学することができ、国に応じて体制や対策が違うことを学ぶことができました。

ロスガトス高サディダンスパーティは、学校の創立祝いのダンスパーティーでした。本学学生も一緒に参加させていただき一緒にお祝いすることができました。高校生がダンスパーティーを開催することに学生は戸惑いながらも生徒と一緒に楽しい時間を過ごしました。


3月23日(8日目)
ホストファミリーディ

この2日間それぞれのホストファミリーと観光やショッピングをして過ごしました。


3月24日(9日目)
ハリウッド観光、グリフィス天文台観光

サンノゼ-ロサンゼルス空港へ移動しました。空港まで見送りに来てくださったホストファミリーと、最後までお別れを惜しみました。ロサンゼルスではタクシーをホテルの人に依頼し、蝋人形館、ハリウッド&ハイランド、ララランドの観光をしました。
学生はタクシーにおいて、積極的に不明な点は話しかけ対応できていました。また、観光も積極的に行動し、トラブルなく楽しんでいました。グリフィス天文台観光はハリウッドの景色を一望しました。


3月25日(10日目)
ユニバーサルスタジオハリウッド

ユニバーサルスタジオハリウッドでは、全員でアトラクションを楽しみ、大きなトラブルなく1日過ごすことができました。


3月26日、27日(11日、12日目)

ロサンゼルス空港-羽田空港

インドネシア研修プログラム

2019年9月4日から15日の11泊12日日程で、2年生6名と教員1名が参加しました。
現地の人々との交流を通して、インドネシアの文化や習慣の違いに触れる貴重な体験ができた研修でした。

大学生との交流

イッサン看護大学(IMC)では日本での研修準備学習中の学生達と交流しました。学生達と一緒にショッピングモールに出かけ、文化、宗教、食生活など様々な気づきがありました。インドネシア大学では、卒業生に案内していただき、その方の生活の様子などを聞くことができ、看護学生の生活や就職の状況、国の制度の違いなどを学ぶことができました。

バニサレ大学では本学の教員とバニサレ大学の教員が交互で講義を行い、本学からは、精神科看護の地域支援について説明をしました。学生交流では相互に大学が所在する国や地域の特徴、大学の紹介を行い、学生は歌やダンス、浴衣体験などに積極的に興味を示していました。また、ボゴールクリニックに参加した学生たちは地域で開催される1カ月に1回の母子保健に参加させていただきました。

イッサン看護大学での交流
イッサン看護大学での交流
インドネシア大学で講義を待つ学生
インドネシア大学で講義を待つ学生
バニサレ大学で日本、大学の紹介をする学生
バニサレ大学で日本、大学の紹介をする学生
ボゴール精神病院で出し物をする学生
ボゴール精神病院で出し物をする学生
ボゴール精神病院見学

ボゴール地区にある国立精神科病院(RS.dr.H.Marzoeki Magdi Bogor)を訪問しました。インドネシア最大規模で最古の歴史を持つ精神科病院であり、精神科医からインドネシアで行われている退院支援、地域生活支援の説明がありました。病院内を見学した後、学生は患者さんの前で日本の歌などを披露しました。“上を向いて歩こう”の手話の説明し、手話付きで歌を歌うと患者さんも学生の動きに合わせて手話を行いました。

宗教、文化の体験

インドネシア最大規模のモスクMengunjungi MasjidIs tiqlal を訪れ、礼拝の様子やモスク内の施設見学をしました。インドネシアのイスラム教は多種の宗教の共存を認める考えがあることなどの説明がモスクのガイドからあり、宗教に関して国際的な問題が頻発することを知る学生にとってはインドネシアのイスラム教徒の寛容さを知る機会になりました。

また、織物博物館にてロウを溶かして布に模様を描き、その布に色付を行うバティック体験をしました。途中でロウが多く垂れて、思い通りに描くことができずに苦労しましたが、現地の人が作成したバティックに繊細な模様が描かれているのを見て学生は現地の人の技術の高さに感動しました。

モスクMengunjungi MasjidIs tiqlal
モスクMengunjungi MasjidIs tiqlal
織物博物館でのバティック体験
織物博物館でのバティック体験

これら以外にも、日本の国家試験合格を目指しているインドネシア看護師の勉強会を見学させていただいたり、日本人祭りへの参加、タマン・ミニ博物館見学などをしました。宿泊したホテルの天井にもメッカの方向を示した“kiblat”というステッカーが貼ってあることが分かり、宗教と生活のつながりを感じたり、交流を通して食習慣の違い、考え方の違いから改めて日本人の生活や考え方を意識して考える機会となりました。

台湾研修プログラム

ただいま準備中です。

チェンマイ大学看護学部留学生受け入れプログラム

このプログラムは、タイのチェンマイ大学看護学部からの留学生を受け入れることにより、本学学生が国際交流の場を得て、異文化理解を深めること、留学生には、異文化・生活体験の場を提供することを目的としています。 

2006(平成18)年度よりチェンマイ大学での研修プログラム、2008(平成20)年度よりチェンマイ大学生の受け入れプログラムを開始し、交換留学プログラムとして実施されています。新型コロナウイルス感染症の影響で3年間中止していた交流プログラムでしたが、令和5年度は5月21日から27日の1週間、学生5名と引率者1名をお迎えしました。  

本学での講義や演習を体験し、宮崎市内の病院・施設などを見学しました。救急医療サービス、地域での健康づくり活動など様々な保健医療の実践について学び、地域の方々との交流や学生宅でのホームステイを通して、日本の生活や慣習に触れることができました。

学生ホストボランティアの声

2年生 森田 侑さん

 私は海外研修に参加したいと考えていましたが、海外へ行った経験はなく、英語もそれほど得意というわけではなかったため、参加しても大丈夫だろうかと迷っていました。そんな時にタイのチェンマイ大学の学生ホスト募集を知りました。留学生との交流を経験すれば、友人もでき、自分が海外研修でタイに行くことになっても心強いだろうと考え、応募しました。今まで習った英語の知識がどれだけ役に立つのだろうか、ちゃんと話を繋げられるだろうか、タイの学生がリラックスできる環境を提供できるだろうかと心配は尽きませんでした。  

 実際に対面した時、英語がなかなか出てきませんでした。知っている単語とジェスチャーを駆使してなんとか伝えようとすると、相手も頑張って理解しようとしてくれたので、コミュニケーションは十分にとることができました。大切なことは、英訳できないからと会話を諦めるのではなく、とにかく口に出して言ってみることだなと感じました。  

 講義が終わった後は、観光に行ったりショッピングをしたり、夜は外食したり一緒に料理を作ったり、普段友達と遊ぶ時のような感覚で1週間では足りないほど楽しい時間を過ごしました。その間にお互いの国のことを話したり、簡単なフレーズを教え合ったりと1日1日が非常に充実していて、とても貴重な経験をしました。また、同じホストボランティアという立場から、これまで交流がなかったクラスメイトや先輩方とも繋がりを持つこともできました。心配していた海外研修も、研修先をタイにしたので、今回宮崎に来てくれた学生たちにまた会えることを考えると、今では楽しみの方が大きいです。

本学2年生のホストさんとチェンマイ大学学生のゲストさん
ホストボランティア学生とチェンマイ大学留学生
一緒にお好み焼きを作りました
一緒にお好み焼きを作りました